
義仲寺で歴史に思いを馳せる【大津市】
滋賀県にはとても多くの城跡があるのを知っていますか?今回は、戦国時代の城跡を中心に、初心者にもハイキング感覚で楽しめそうな所を紹介します。
1570年、織田信長の命を受け、森蘭丸の父・可成(よしなり)が築いたといわれている宇佐山城。「土の堤防〝土塁(どるい)〟で囲った簡素な城が主流の時代に、信長は威厳と築城技術を民衆に示すため石垣を取り入れました。宇佐山城の石垣は、町から城が見える山の東側に集中しています」と、案内人の小林さん。現在は城跡の上に電波塔が建っていて、その周辺に石垣が残っています。
宇佐山の頂上に位置し、京都と近江を結ぶ街道の監視機能を担っていた宇佐山城は、比叡山延暦寺と争う信長軍の最前線に当たり、明智光秀の拠点の一つだったそう。実際に山頂に立つと比叡山が間近にそびえ、大きな動きがあればすぐに気づく立地だとわかります。また、街からアクセスしやすいのも特徴。近江神宮の裏手にある登城口から山頂まで約40分と登りやすいので、参拝と合わせてチャレンジしては。天気の良い日は対岸の草津・守山まで見渡せますよ。
DATA
京阪近江神宮駅から登城口(宇佐八幡宮)まで徒歩約10分
駐車場/宇佐八幡宮近くの観光駐車場、または近江神宮駐車場を利用
宇佐山城は、信長が安土城築城より前に石垣を取り入れた珍しい城郭。高さ約2mの石垣は、山の地形を生かして積まれています。急斜面なので、近づく時は足元に注意を。
山頂からの琵琶湖の眺めに、登りきった達成感もひとしお。当時は山頂の木々を切り、全方位を監視したと考えられています。
城の出入口である〝虎口(こぐち)〟。攻防戦の要所のため土塁が築かれ、真っすぐ侵入できない造りに。土塁の影に隠れ、侵入者を死角から攻撃していたのだとか。
古くから地方自治の考えが根付き、地域ごとに有力な豪族が存在したという近江。そんな土豪の一つである三雲家は、近江の守護大名・六角氏の重臣として知られ、1487年に三雲城を築城。その後、織田信長と敵対する六角氏が亡命した時は城にかくまい、代わりに戦ったそう。そのため「六角氏の逃げ城」として有名です。
「最大の特徴は石垣の枡形虎口(ますがたこぐち)です。この山は石材が豊富で、虎口に使われている石も現地調達したと考えられます。近代には採石場としても利用されていたんですよ」と小林さん。山の入口に積まれた石垣は近代のもので、石の大きさや切り口が違います。ぜひ虎口の石と見比べて。ほかにも城跡の北側に残る長い土塁や、築城以前からあったとされる巨大な八丈岩など見どころがたくさん。山内の道は整備され、ぐるりと巡っても1時間かからないのでハイキングコースとして気軽に登れるのもポイントです。
DATA
JR三雲駅から登城口まで車で約10分で駐車場/青少年自然道場を利用
(土日祝の10:00〜16:00のみ開場)
石垣などで囲まれた四角い空間の虎口を〝枡形虎口〟といいます。大きな石の側面には、鉄製のくさびを打ち込んで石を割った〝矢穴(やあな)〟と呼ばれる加工跡が(写真左下)。
山頂のあちこちには巨大な岩が。中でも高さ約5mの八丈岩は必見! 転がり落ちそうで落ちない姿から「合格祈願の岩」として受験の願掛けスポットに。
本丸の一角には築城時の姿を残す深さ約6m古井戸が。石積み職人の集団・穴太(あのう)衆によるものだそう。
滋賀県で確認されている城館跡の数は約1300。その多さもさることながら、県の面積に対する密度は、全国でも類を見ない高さだとか!
これは有力な土豪がそれぞれ城を築いたことに由来。そのため大半が戦国時代以前に築かれた、土塁で囲んだ小規模なものだといいます。しかし織田信長の近江侵攻後は、これらの多くが廃城となり、拠点としての機能を集約した大きな城が新たに造られることに。信長はそれまで寺院建築の技術だった石積みを城に転用し、1576年に安土城を築きました。以降、石造りの城が全国に広まったといいます。
今回紹介した2つの城は、信長が近江を治めるそれぞれ前と後の特徴を持つ山城です。
「近江の城カード」に注目!