さつまいものツルを活用してクリスマスのリースづくり
滋賀県では、歴史あるものづくりに取り組む企業や職人が数多く活躍しています。伝統工芸から工業製品まで第一線で活躍する人たちに、先人から受け継いだ技や志、未来への展望について聞きました。
地域や祭りの象徴。後世にも誇れる仕事を
「神輿(みこし)は神殿を小型化したもの。人々の崇敬の対象となり、地域の誇りとなるような荘厳さや豪華さが求められます」
そう話すのは「株式会社さかい」の代表取締役・酒井清裕さん。同社は自社工房で、神輿の製造を一貫して行う県内でも数少ない企業。土台となる木地の加工から、漆塗り、装飾用の錺(かざり)金具の加工、組み立てまでの工程を手がけています。
工房では社員である若い職人たちが作業する姿も見られました。
清裕さん自身も若い頃から現場に出て、祖父・清三郎さんや父・清さんの手伝いをしていたそう。先代の父からは技術を、初代創業者である祖父からは目先の利益より日々努力を重ねることの大切さを学んだと言います。
さかいでは神輿の修復なども手掛けているため、その際に先代が残した仕事ぶりを目にすることもあるそう。
「神輿は修復すると、さらに50年から100年は持たせることができます。私が今、先人の神輿を見て感じるように、後世の職人にも『すごいな』と認められるような仕事をしたいですね」
最近は、神事に用いる神輿のほか子ども神輿の依頼が増加傾向に。崇敬の対象から地域の交流を図る存在へと、その役割は変化しているようです。
「神輿を通して、地元への愛着、祈りや感謝の心も次世代につなげたら、うれしいです」
- さかい
- 酒井清三郎さんが1945年に野洲市で創業。1994年に2代目・清さんと3代目・清裕さんが、野洲市小篠原に社屋を移設。1994年には日本最大級の神輿(岐阜県高山市)の製作も手がける(1997年完成)。清さんは1995年に文部大臣賞、翌年に黄綬褒章を受賞。2010年、3代目の清裕さんが代表取締役に就任し、制作する神輿は2015年に滋賀県の伝統的工芸品に指定。
伝統の技にデザイン性を。世界も驚嘆、木桶の可能性
「木は同じ種類でも、育ってきた環境や部位により性質が異なります。それらを理解して初めて、木の取り扱い方、用途やデザインが見極められるんです」
こう話すのは「中川木工芸 比良工房」の中川周士さん。大学卒業後、父・清司さんに師事する前から、職住一体の環境の中で〝木とのつきあい方〟を学んできたと言います。
かつては生活必需品だった木桶ですが、現在は需要が減少し、「実用品から特別なおもてなしのアイテムへと変わってきている」とか。そんな時代の変化を見据え、木桶の新たな可能性に挑んできました。
2010年には、これまでにないシャープな縁の形が特徴的な木桶を作り、それが有名ブランド「ドン・ペリニヨン」の公式シャンパンクーラーに認定され、一躍有名に。その後も海外での作品発表を積極的に行っています。
そのせいもあって、比良工房には海外から学びに来た弟子たちの姿が。彼らが技術を持ち帰ったら、また新たな木桶の可能性が生まれそうですね!
「木桶には約700年の歴史がありますが、それは変化と革新の繰り返しがあってこそ。伝統を守るだけではなく、進化につながる作品を提案していければ」
最近は滋賀県産の木を使った普段使いの器の製作も。木桶の技術を未来につなぐ挑戦は続きます。
- 中川木工芸 比良工房
- 初代・中川亀一さんが京都の老舗「たる源」で修業後、白川通りに工房を構え独立。2代目・清司さんの作る木桶は京都の老舗料理店や旅館で愛用され、重要無形文化財(人間国宝)に。3代目・周士(しゅうじ)さんは2003年に滋賀に移住し比良工房を開設。国内外から注目を集めている。
目立たない、けれど絶対に欠かせない。
〝縁の下の力持ち〟を誠実に作り続ける
彦根市の地場産業の一つ、バルブ産業。市内には27社前後のバルブメーカーと70~80社の関連企業が集まり、その中で最も古い歴史を持つのが廣瀬バルブ工業株式会社です。
ちなみに「バルブ」とは、水や油、ガスなどの通り道に設置して、流れの方向、圧力や量などを制御・調整する機器のこと。生活や産業のあらゆるところに使われています。その中で、同社で取り扱うのは製鉄プラントや建設機械、工作機械などに用いるバルブ。開発・製造・検査を一貫して担っています。
機械の確実かつ安全な稼働のため、バルブの製造には精密で確かな技術力が欠かせないそうですが、一方で「一般の人がバルブを目にすることはほとんどありません」と代表取締役の小野慎一さん。
「ですが、健康であれば体の細部を気に留めないように、目立たず当たり前と感じてもらえることも製品の価値だと思っています」
近年は海外に進出するほか、環境に優しい高圧水用バルブなどの開発・製造にも着手。一方で、国内の関連業者の後継者不足が課題とも感じているそう。
「性能や品質を向上させることで、彦根のバルブ製造の伝統を守っていければ」と小野さん。目立たなくとも欠かせない〝縁の下の力持ち〟は、これからも彦根の地で進化を続けます。
- 廣瀬バルブ工業
- 初代創業者は「彦根バルブ業界の祖」といわれる門野留吉さんのおい・廣瀬善吉さん。門野さんのもとでバルブ製造の技術を学び、1923年に前身である「廣瀬鉄工所」を設立。当初は主に水道弁などを手がけ、1957年には油圧用ストップバルブの開発に成功。2012年から、3代目・廣瀬一輝さんの娘婿・小野慎一さんが4代目の代表取締役社長を務めている。
- おもしろき彦根とバルブの
長〜い歴史 - 彦根のバルブ製造の始まりは、時をさかのぼること100年以上、明治20年頃に、仏具装身具の職人であった門野留吉に信州の製糸工場から蒸気カランの修理の依頼が舞い込んだことだとされています。金属加工の技術を生かし、注文に応えた留吉は、人を育てる才にも恵まれ、自らの技術を惜しみなく伝授。修業を積んだ職人たちは、のれん分けなどで次々と独立を果たし、鋳物業やバルブ加工業を開業し、彦根のバルブ業界形成の基盤となったのだそう。約130年の歴史を経て、彦根は多くの関連企業が集積する国内唯一のバルブ産地となり、県内最大規模の地場産業となっているのです。