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テレビ番組などの影響で、現在、俳句の人気が拡大中。しかも、ここ滋賀では松尾芭蕉をはじめ、さまざまな俳人が名句を残しています。文化の秋、あなたも俳句の魅力に触れてみませんか。
滋賀を詠んだ句でおすすめのものを、左に紹介した2人の男性に挙げてもらいました。すると「これは外せない」と意見が一致したのが、滋賀県(近江国)との関わりが深いことで知られる松尾芭蕉の「行春(ゆくはる)」の句でした。
「芭蕉には近江の門人が数多くいたんですよ」と話すのは、幻住庵(げんじゅあん)保勝会理事を務める山田稔さん。ちなみに幻住庵とは、1690年に芭蕉が3カ月半暮らしていた庵(いおり)ですが、ここを用意したのも門人の一人、膳所藩士の菅沼曲水でした。「芭蕉が曲水に宛てた手紙には『偏(ひと)へに膳所は旧里のごとくに存候(ぞんじそうろう)』という記述も。近江は、門人らをはじめ芭蕉にとって心を許せる人がいた特別な土地だったのでは」と山田さん。
ちなみにこの「行春」の句は、芭蕉が近江の門人たちと志賀唐崎に舟を浮かべて遊んだ折の句で、「望湖水惜春(こすいをのぞみてはるをおしむ)」と題し俳諧集「猿蓑」に収められています。「『近江の人』という表現には、この風流な遊びを共にした湖南の連衆(芭蕉と連句を作った人たち)に感謝を伝える〝挨拶(あいさつ)〟も含まれています。また、この句を詠んだ芭蕉の胸中には、琵琶湖の春を詠んだいにしえの和歌の数々もあったと想像されます」とリビングカルチャー倶楽部講師の中田剛さんが解説してくれました。
もう一句、「山国育ちの芭蕉は、琵琶湖に魅了されていたのでは」と話す山田さんが「鳰の海」の句も推薦。こんなに美しく琵琶湖の情景を詠んでくれて、滋賀県民としては誇らしい限りですね!
「『行春』の句もそうですが、芭蕉が近江を詠んだ句にはその地に深く親和した人の目と心があるようです」と中田さん。そして、今度は大正生まれの俳人・森澄雄の句を紹介してくれました。
「彼も近江にまつわる句を数多く残していますが、芭蕉とはまた違った『旅人』の目がそこにあります」
その近江への〝旅〟は普通の旅行とはまったく違った意味合いを持っていたようで―。
「南方での凄惨な戦争体験を持つ森澄雄は、素朴で穏やかな近江の風光に強くひかれたようです。句から漂うしんとしたひとりごころ。森澄雄の魂は、優しい近江の風光に慰撫されたのではないでしょうか」
幻住庵保勝会理事
山田稔さん
県立高校の社会科教諭として勤め上げた後、保勝会の活動を開始。活動の一環として会報に寄稿していた松尾芭蕉に関する記事を、この4月、冊子「松尾芭蕉と近江」(三学出版、540円)として発行しました。
俳句結社「白茅(はくぼう)」代表
中田剛さん
滋賀リビングカルチャー倶楽部 草津駅前教室で「俳句を詠もう」を開講中。俳句にひかれたきっかけは、中学の国語の教科書に載っていた「バスを待ち大路の春をうたがはず」(石田波郷)という句に出合ったことだったとか。
五七五でさまざまな世界を表現できる俳句。作る際のルールは下の表の通りです。「17音という制約の中で、作者がモチーフ(表現動機)を効果的に伝えるため、こうした決まり事があります」と中田さん。これらのルールを知っておくと、鑑賞する際にも、作者の意図を理解する助けになります。
ちなみに、俳句を作る上で大切なのは「一点豪華主義」だそう。「音しか使えないので、情報を盛り込みすぎると散漫な句になりがち。その句を作る動機が何なのかをしっかり絞り込むことが鍵です」。まずは気軽に書き、「あれ? もっとこういうことを伝えたいのに…」というところが出てきたら直して…と試行錯誤しながら、句を自分のイメージに近づけていくのが難しくも面白いのだとか。
左のコラムでは、中田さんに現代の句を紹介してもらいました。いずれも情景が鮮やかに浮かび、「野菊の花はどんな色だったのかな」「おでんの句の作者はどんな一日の終わりに星空を見上げたのだろう」と想像が膨らみます。
「他人の句に人生の機微を想像できるのは、経験を重ねた大人のだいご味。あなたも挑戦しませんか」(中田さん)
※注:句の中に、読者を引き込む「間」や「余韻」が生まれている状態を「切れている」といいます
応募締め切り 11月30日(金)