親子で自家製味噌作り★
建築デザイン専門誌「新建築」に掲載された、創業当時の写真(写真提供/新建築社・1976年11月号掲載)。上から、当時のにおの浜の様子がわかる店舗外観、たくさんの来店客でにぎわう食品売り場のレジ、今現在は残っていない別棟3階建て(パンタグラフ)内にあった、半地下のレストラン
滋賀の暮らしに新たなときめき
オープン時の新聞広告
(写真提供/西武大津店)
1975年に草津市で生まれた記者も、当時のことを母に聞くと…。「子育て中の主婦にとって、近くにデパートができたのは嬉しかった! 京都まで行くのは大変だったし」とのこと。〝滋賀県初のデパート〟としても、地元の期待を集めていたようです。
デパートとしての特別感が特によく表れているのは、今も変わらない建物の造り。〝招き猫の手〟にも例えられる非常階段部分や、離れてみると建物全体が豪華客船のようにも見える、ひな壇型のガーデンテラスが特徴的です。
そのほかにも、大物有名人が来店していたり…。話題には事欠かなかったようです。
- 開店が近づいた頃、「びわ湖に出るぞ。」と文字だけ書かれた紺色の大きな看板が道路沿いに何カ所か立ちました。「何が?」と思っていたら、それが西武大津店のことでした。ストレートではない何ともスマートな宣伝方法に、「東京やな、やっぱり違うわ!」とびっくりしました。
大津市・近江で生まれっ子(70歳)
- オープンの日に父に買ってもらったオルゴール。一緒にお嫁入りし、今でも私の宝物です。
大津市・TS(53歳)
- 当時は京都在住で、オープンの時はすぐに車で来店。びっくりしたのは地下がないこと。コンパクトで買い物しやすくファンになって、結婚後大津で暮らすようになり、以来西武と共に歩んできました。
大津市・HO(69歳)
知ってる?
西武大津店、こんなにスゴかった!
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琵琶湖だった所に店ができた
西武大津店のあるにおの浜は、1968年に開催された「びわ湖大博覧会」のために造成された埋め立て地です。この博覧会跡地を利用して同店が建てられました。
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有名建築家が設計
設計者は、大阪万博の「エキスポタワー」などを手掛けた建築家・菊竹清訓(きくたけ・きよのり)さん。オープン後、建築デザインの専門誌に特集されるほど注目されていました。
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CMもインパクト大
オープン当初流れた、湖面から女性が浮き上がり「琵琶湖に出た」とナレーションが入るCMは、「第十六回全日本CMコンクール」の「テレビCM部門」で最高賞を受賞しました。
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あの大スターも来店
オープン時の「一日店長」を務めたのは、大空眞弓さん。さらにオープニングイベントのゲストとして、森昌子さんや石川さゆりさんのショーも行われたそう。
〝私たちを育ててくれた大切なお店です〟
西武大津店に長く携わってきたスタッフを取材して、これまでの思い出を聞きました。
このほか、西武大津店の〝プロ意識〟に関する話題も。
「2005年に6階でデザイナーの西田武生先生をお招きしてファッションショーを行ったのですが、『ステージの造りや演出など、完成度が高い! さすがは西武だね』と喜んでおられたのを覚えています」(竹上さん)。
ミレーの安田さんは1階の製パン店を取り仕切っていた頃「当時の社員スタッフに『一テナント』ではなく『食品売り場の一員』として、接客や店の運営のノウハウを教え込まれた」と振り返ります。「当時僕は20代。西武に育てられたと思っています」
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「ミレー」店長・安田廣治さん
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「タケオ ニシダ」店長・竹上陽子さん
私の〝青春そのもの〟
- 滋賀に初めてのデパートができたとき、ちょうどファッションに興味を持つ頃でした。
高校を選ぶ基準が「西武に近い」なんて理由で、無事合格してからは「ときめき坂」を下り、しょっちゅう放課後遊びに行きました。どうしても欲しい、黄色地に紺のストライプの野球のユニホームみたいなツナギを毎日売れてないか確かめに行き、お小遣いをためてゲットしました。草津市・MK(56歳)
- 今から30年前、私は高校生でしたが、レストラン街にあった「糸ぐるま」という京ラーメン店に、学校帰りには仲間とよく行っていた思い出があります。また、学生の頃、2階にあった「サンマルコ」というイタリア料理店でアルバイトをしていました。店長やバイト仲間もみんな仲が良く、制服もかわいくて、楽しかった若い頃の思い出があります。
大津市・YM(48歳)
- 6月の中頃、一通の封書。封筒の隅に「営業終了に伴う大切なお知らせ」と。思わず電話に手が伸びる。孫から「西武3人組」と名付けられていた仲良しの二人と電話で長話。どうしてもしまいには涙声になってしまうのです。「私ら、西武に育てられたんやもんなあ」
西武が大津の地に店を開いた頃、私たちはちょうど40歳前後、人生の最高期に差し掛かっていたのです。まずはファッションから、次には、食べ物とおしゃべりと。やがて、音楽や美術へと。「県内唯一の百貨店」は、私たちを十分に楽しませ、育ててもくれました。あんなに元気よかった3人組も、すっかりお婆ちゃんに。私たちの生涯の居場所であった西武がなくなるなんて。せめてもう5年、待ってもらえたらなあ、とつくづく思えてくるのです。大津市・MY(84歳)
スタッフのやさしさにキュン
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買い物中、バッグに入れていた制作中のくまのぬいぐるみの「腕」を落としてしまいました。あきらめきれず探していて、3階エスカレーター近くにいた店員さんに尋ねると、その方が拾ってカウンターに届けたとのこと。丁寧な対応に感謝しました。奇跡のくまは、今もピアノの上にいます。
大津市・EK(68歳)
- 5階「育(はぐ)ママセンター」で書き初め大会に参加した息子。店員さんらしき講師の先生が、筆を一緒に持って優しく教えてくださり、力いっぱい元気な作品ができました。なんと、その作品は小学校で展示され、賞状をいただきました。育ママセンターのスタッフのみなさんは、いつも本当に温かく子どもに接してくださっていました。ありがとうございました。
大津市・AM(45歳)
あの店、この階での出来事
- 高校生だった頃、6階のホールで見た安部公房やつかこうへいの劇が、大切な思い出です。少し背伸びをして、友達と行きました。田舎者の私が都会の風を感じることができた場所です。
栗東市・TM(59歳)
- 35年前、当時ベビーコーナーに展示されてた、赤ちゃんより大きなキューピーちゃんを初任給で買いました。また、当時1階にあった靴屋でブーツを試着し、ふくらはぎが太くてなかなか入らず、店員さんと2人でヨイショッ!と言いながらファスナー上げたのも楽しい思い出になっています(笑)
大津市・8pyさん(53歳)
家族との思い出は宝物!
- 私の出産準備を兼ねて、母と一緒に行ったことが一番の思い出です。そのとき母は、私の羽織物と、生まれてくる赤ちゃんのための物を買ってくれました。そして、自分の口紅を選んで買っていました。それが母と一緒に行った最後の買い物になるとは、当時の私は思ってもいませんでした。買い物からしばらくして、病を患っていた母は入院しました。
幸い、母の入院した病院と私の里帰り分娩の病院が同じだったので、孫を見せることも抱かせてあげることもできたのですが…。私が先に退院し、その数週間後に母は亡くなりました。何かとよく利用した西武がなくなってしまうのは本当に残念ですが、母の買ってくれた羽織物とあの時の口紅を見て、思い出として心に残しておこうと思っています。大津市・ゆうきゆき(44歳)
- ある日2人の子どもを連れ家族で出かけた際、エレベーターの扉が開くなり、次女が嬉しそうに飛び出していき、姿が見えなくなりました。しばらくすると、館内放送で「お子さまがお母さまをお待ちです」と聞こえてきてホッとするとともに、こちらが迷子になったような気分になり、笑いがこみあげてきました。
大津市・匿名希望(66歳)
- 共働きでしたので、週末には一週間の買い物に家族で行きましたが、近江大橋から西武までの渋滞が大変でしたので、正直草津の近くでいいのにと思って運転していました。
でも妻は、家族の貴重な休みにレジャー気分が西武でないと味わえないと言いました。妻が買い物をしている間は子どもたちとアスレチックで遊んだり、乗り物に乗せたりして過ごし、帰りにはちょっとリッチな気分で夕食を食べて帰りました。友達から「西武に行けばNさんに会える」と言われるほど必ず行っていたので、閉店の知らせは本当に寂しい思いでした。草津市・YN(71歳)